博士課程で落ちぶれて休学、中退、就職、そして失職へ…

この記事は、友人の Atsuko Tominaga 氏の誘いにより アカリク~大学院生(修士・博士)・ポスドクの就活とキャリア~ Advent Calendar 2019 に寄せて書いたものです。
(12月21日追記:といっても、毎日記事を紹介しているはずのアカリクさんのtwitterアカウントには完全スルーされました)

こんばんは、今年度いっぱいで失業する兎月くみです。

こんなタイトルにしたものの、いったい何から書き始めればよいやら分かりません。とりあえず私のこれまでの経歴と、その時々の気持ちについて、時系列順に記していこうと思います。

ひとりのアカデミア脱落者の履歴を書いているだけですので、得るものはないかもしれません。何らかのアドバイスや示唆がある記事ではありませんので、どうぞ悪しからず。

楽しかった学部時代

私は2008年4月に某大学の文学部に入学しました。附属高あがりで、受験勉強の類はまったく経験したことがありません。ちなみにその高校も、中学の内申点が良かったことによる推薦入学(個人面接のみ)でした。今になって思えばこうした苦労経験の無さが、その後の転落の原因のひとつだったのだろうと思います。

昔から語学が好きでしたので、某外国文学の専攻に入りました。そこで某語や言語学に関する科目を主に受講し、その他の語学科目にも色々と手を出したものです。小さなサークルでフルートを吹いたり、恋人を作ったりしながら、順風満帆な学部生活を送っていたと記憶しています。ちなみに1年生の夏から、知り合いづてで塾講師のアルバイトを始めました。成績は比較的良く、GPAは3.48/4でした。

学部生活でひとつ欠点だったのは、とにかく私は腰が重いといいますか、フットワークがよくないことでした。今になって思えば、価値ある公開講義、楽しいイベント、巨大な図書館など、学内外を問わず足を運ぶべき物事が無数にあったものです。しかし私は基本的に家と授業の往復ばかりを続けていました。この性格もまた、後々足を引っ張ることになります。

新卒就活シーズン

学部3年生の6月ごろだったでしょうか、同級生が一斉に就活サイトへの登録を始めました。私といえば、その時期から就職活動が始まることすら全く知りませんでした。完全に出遅れたのです。

当時はちょうど「リーマンショック」「内定取り消し」といったワードが飛び交う「第2次就職氷河期」とも言える時代で、学生たちの間には「50〜60社は受けて当然」といった空気が流れていました。

ここで私は、遅めの厨二病でも発症した1のでしょう。リクルートスーツ、就活ヘア、新卒カード、圧迫面接、適職診断、就活セミナー、SPI…といったあらゆる就活キーワードに拒絶反応を示してしまったのです。

「自分が行きたくもない会社をとりあえず何十社も受けるのはおかしい」
「授業中でもすぐに電話が取れないと合格取り消しなんて、学生をバカにしてる」
「クローン人間のような就活スタイルに染まるなんて絶対に嫌だ」

などと考えていました。

勉強自体はとても好きでしたし、GPAのおかげで修士課程への推薦入試を受けられることも分かり、私はめでたく「入院」の道に進むことに相成りました。ですが、単に「勉強」が好きなだけで、そもそも「研究」とは何なのかがよく解っていなかったのですから、上手くいくわけがありません。

修士課程の罠

2012年4月、晴れてアカデミアの道を歩み始めました。しかし相変わらず周囲に迎合できない私は、その専攻のメインとなる某語ではなく、同じ系統に属する周辺言語の調査を始めてしまいます。元々そちらに興味を持っていたのですから仕方ない部分もあるのですが、これは選択ミスであったと言わざるを得ません。その言語を研究するのにより適切な大学院は他にいくらでもあった2のですから。

また、私の所属したゼミも問題でした。確かに指導教授は何でもマルチにこなせるだけの素晴らしい知識を持っておられました。ですがそれ故に、このゼミは「その他の分野すべて」の寄せ集めとなってしまっていたのです。ちなみに、定年後や子育て後に入学したり、科目履修をしたりというおじ様、おば様の比率が約半分を占めていました。

つまり、研究成果をゼミで発表すると、誰もその内容の真偽や出来不出来について判断ができません。方法論的な部分に対する指摘はできても、批判的な意見が飛び交うことはあまりありません。こうして「他のゼミ生が知らない内容を発表している自分ってすごい!」という錯覚に陥り始めました。いわゆる「茹でガエル」状態だったのです。

そして、前述した私のフットワークの悪さが追い討ちをかけます。様々な学会発表を聞きに行くとか、何なら留学するチャンスだっていくらでもあったのですが、そういったものに積極的に参加する気分にはなれませんでした。父母も祖父母も病気がちで、入院が多かったというのも理由のひとつではあります。ですが、どこか心の中で「自分の研究は他所で通用しない」ということに気付いていたのだと思います。

結局、環境のせいにするのは簡単ですが、私が努力をせず惰性で生きてきてしまったツケがついに回ってきたというのが本当のところです。それでもどうにか、自身の研究を修士論文としてまとめる目処は付きました。

初めての休学と修士論文

その目処が立ったのが遅かったため、私は思い切って1年間の休学をすることにしました。学費も最低限でよく、図書館も使えたので、しっかりとデータを集めて良い物ができると思ったのです。

実際、ヨーロッパの対象地域に赴いて必要な情報を集めたり、指導教授にくっついて海外の国際学会に参加(見るだけ)をしたりもできました。ですが、この1年間は概ね腱鞘炎になるほどゲーム3をプレイして過ごしていたように記憶しています。就職活動はしておらず、博士課程にズルズルと惰性で進学する流れになりました。

意味があったような無かったような休学を経て復学し、なんとか修論は提出しました。しかしながら、その評価は無残なものとしか言いようがありませんでした。

論文自体は通過したのですが、副査の先生方以外からは質問ゼロ。しかも主査の指導教授から後日「あれは論文とはいえないからね」とまで言われる、何ともお粗末な結果です。

幽霊進学と就活失敗

そんなこんなで生まれて初めての一般入試を受験し、2015年4月、打ちひしがれた思いのまま博士課程に進みました。これまでやってきたことが色々な意味で否定された形でしたので、具体的な新しい研究テーマが決まりません。これではマトモな博論計画書も提出できないということで、進学して即休学をするという形になりました。

この頃には、某語や研究地域に関するニュースを見ただけでも吐き気を催すようになっていました。

なるべく学業から離れたくなり、学内でアシスタント系のバイト4をしたり、偶然オファーを受けて某女子高で英語を教えたりもしました。塾の講師も学部1年の頃からずっと続けていましたので、バイトを3か所はしごするフリーター生活でした。

少しだけ就職活動に手を出してみたこともあります。大嫌いだった就活サイトに登録し、「既卒」でフィルタを掛け、出版社や大学職員などをいくつか受けてみました。能動的な就活ではなかったので、働く意欲など微塵もありません。当然のことながら全滅でした。

突然の就職

こんな生活を何年も続けてしまったので、この時期は本当に頭がおかしくなりそうでした。

同級生は今ごろ主任か係長。 いつまでもフリーターはしていられない。でも就活はもうたくさん。手に職もない。そして今更研究には戻れない、戻りたくない。

毎日深夜に2〜3時間散歩をし、近所の稲荷神社を全て制覇しようと5したり、「親を殺して実家をアパートにすれば、自分ひとり食べていけるだろうか」などと本気で考えたりしていました。宝くじの類に縋ってみたり、FXに手を出してみたりもしました。

そんな折、バイト先の塾のオーナーから、ある話を持ちかけられました。塾を新規出店するから、そこの教室長にならないかというものです。

決して好待遇というわけではなく、週休も1日だけでした。ですが、塾の仕事自体は好きだったことや、オーナーに対する恩義、そして何よりも「安定した身分」を求めて、それを引き受けることにしました。結局、大学院には戻らず、その年の春学期いっぱいで中退しました。

そして失職の予定

そうしてしばらくの間、教室での仕事を続けてきたのですが、業績が思ったように伸びませんでした。赤字からなかなか抜け出せず、ついには運転資金が底を尽くそうです。後継のオーナーも見つからないため、今年度いっぱいで閉鎖になることがほぼ決定6しました。

もちろん、私もこのまま失職となります。

新規営業に関しての責任は私にも大きくありますので、言うなれば私が潰してしまうようなものです。教育者としてはきっと上手く立ち回れていたと思うのですが、経営者としてのセンスは無かったと言わざるを得ません。オーナーに対しては本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今のところ、次の仕事の当てはまったくありません。昨年初めて受験した TOEIC L&R が 965点でしたので、それを活かせそうな仕事を幅広く探してみます。かなりの趣味人なので、次はせめて完全週休2日のところにお勤めできればとも思っています。

おわりに

長い記事となりましたが、ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。

何らかの事情で大学院が行き詰ってしまっている場合、本当に絶望的な気分になります。さらに、私のように博士課程を中退してしまえば、職歴の無いアラサーの出来上がりです。

私は運よく拾われたものの、その仕事もこうしてあっさり無くなります。これからまた就職活動をしたり、ハロワへ行って失業手当の申請をしたりすることを考えると、とても憂鬱です。(まあ、再就職前に暫く旅行三昧7でもしてやろうとは思っていますが…)

恐縮ながら、私はアカリクさまの詳しい活動について存じ上げておりません。ですが、様々な境遇の大学院生が生きやすい世の中になって欲しいものだと、切に願うばかりです。

ではでは、おやすみなさい。

  1. 未だに治ってはいない。
  2. そもそも言語メインの研究科ですらなかった。
  3. 主に The Elder Scrolls V: Skyrim にハマっていた。
  4. 専攻や研究とは全く関係ない業務のもの。
  5. 以来、自室に簡易的な神棚を置くようになった。
  6. 執筆時(2019年12月20日)現在。
  7. とりあえずエジプトに行ってみたい。あと遠方の友人を訪ねるとか。

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